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2006.06.29

コミュニケーション・ツール

あさみ新聞」の『コミュニケーションのススメ』にTB。

 TB先の引用文

コミュニケーションは「それがまだ成立していない」と宣言することで生成し、「それはもう成立した」と宣言したときに消滅するのである。
from「内田樹の研究室: 緩和医療学会とi-podと『土蜘蛛』

 コミュニケーションは相手の(言ってる)ことが分からない、もっと聴きたいから成立するというような話題ですが、相手のことが分かってもコミュニケーションが消滅することはありません。分かった時にコミュニケーションをとる手段、
それが「ボケ」です。

 「ボケる」ということと「ギャグを言う」ことは全く異ります。「ギャグを言う」のは単に言葉を発することで成立します。しかし「ボケる」ということは、相手のことを理解した上でそれに関連する応答を必要とします。そして笑いが起こればコミュニケーション→相手との距離を近づけるということに成功するわけです。

 「ボケ」の種類もいろいろありますが、どれもそこには「あなたのことを分かってますよ」というメッセージも含まれているものと思われます。唯一「天然」と呼ばれるものが外れそうですが、「天然でない」という事がそういう作為のあるものだとういう証明になります。
 もちろん、これらはネタではなく日常的に交わされている会話の「ボケ」の話です。(認知症も関係ありません。念のため。)


 さて「ボケる」→笑う で、コミュニケーションが消滅してしまうのを防ぐため、
ツッコミ」という技が生まれます。
 先ほど「ボケ」の種類もいろいろあると言いましたが、「ツッコミ」を必要とするボケもある訳です。「コミュニケーションをとりたい」とボケてきたならツッコミを入れるのが礼儀というものではないでしょうか。

 ツッコミをいれるときに難しいのは、それが「ボケ」なのか「天然」≒本当に間違えたのか見分けがつきにくい場合があることです。しかし、逆に言えば相手が本当に間違えていた場合でもツッコミを入れることによって、「ボケ」にしてしまうことが出来るのです。「ボケ」というのは「理解している」上で成立するので、ツッコミは間違いを帳消にして笑いをとるコミュニケーションの手段だと言えます。

 くしゃみをした人に向って、英語圏では"Bless you!"とか、スペイン語圏では"Salud!"(サルー!)とか言ったりしますが、(日本では自分で「コンチクショー!」と言う?)これは悪魔に魂を抜かれない為らしいです。理由はともかく、独りにさせないという点ではツッコミはそれと同じようなコミュニケーションの手段だと思うのです。


 私はどちらかというとツッコミ系です。いろんな人のblogなどで独りにさせないためにも(?)、ツッコミ的なコメントを残していますが、どうも関西系と関東系で受止められ方が違うなと感じるのですが、気のせいでしょうか。

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2006.06.28

二級建築士試験は「絵本作家の記念館」

 引続き建築士試験ネタですが、
平成18年二級建築士試験「設計製図の試験」の課題
地域に開かれた絵本作家の記念館〔鉄筋コンクリート造(ラーメン構造)2階建〕」
from 財団法人建築技術教育普及センター

←写真はやなせたかし記念館
アンパンマンミュージアム

 めずらしくRCラーメン構造です。要求図書の「主要構造部材表」というのが今を物語っているような気がします。
 鉄筋の本数には要注意です。

 一級建築士試験の製図で構造部材表の要求があった記憶がありません。


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2006.06.27

はてなに載ってた(BlogPet)

conejoは、ここへconejoがラみたいな検索すればよかった?


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「conejo」が書きました。

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「新一級建築士」

「新一級建築士」という資格ができるかもしれないという。
@nifty:NEWS@nifty:要件厳しい「新一級建築士」導入=構造、設備は専門資格に−国交省(時事通信)

@nifty:NEWS@nifty:耐震偽装防止、全1級建築士に試験⋯不合格者は降格(読売新聞)

 NTTの加入権が値下げ→資産価値“0”になったぐらいのショックです。
 今持っている免許証がただの紙切れになってしまうかもしれません。

 大臣交付の「免許」なのですが、それが合格者の能力を確認できないため再試験を受けさせるということは要するに「試験制度が間違っていました」と国が認めることですよね。
 で、結局また「試験」でもって能力を調べようという・・・・進歩のないこと・・・・

 別のニュースでは、この新一級建築士の試験に合格しないと今までの一級建築士の業務はできなくなると報じています。

 となると、名義貸しが行われることは目に見えています。
 忙しくて、年取った頭で受験勉強するのは酷です。若くて時間的に余裕のある人の方が、受験には慣れているでしょうし。そうなると需要と供給が一致しますわナ。
 「実務経験が長い方が理解が早いのではないか?」という声も聞こえますが、今の一級建築士試験でも実務と試験問題の乖離が著しいので、試験勉強が必要になるでしょう。新一級の方が今までよりも易しいというのは考えられないでしょう。

 だいたい「試験問題にできる」ということは、「マニュアル化できる」ということです。確実に答えが決まっているということ。
 しかし実務ではマニュアル化できないことをいかにこなしていくかということが重要であり、また仕事の大部分です。マニュアル化できていることが必要なときは覚えていなくてもその時にマニュアルを見ればいいのです。

 本当にマニュアルは正しいのかということも気になります。10数年前は耐火被服にアスベストを使うことは正解でした。けれどもその頃でもアスベストを使用することに疑問を投げ掛け、採用しなかった建築士もいます。マニュアル重視主義でいくとそういう発想が阻害されるような気がしてなりません。

 免許の更新制は必要かもしれませんが、マニュアル重視主義(試験重視主義)に移っていくこと、試験問題を解く術べを身に付ける努力が必要になるということにしばし不安があります。(果たして合格できるか・・・・という不安ではない・・・・と言い切れない・・・・)

 はたまた、今年の一級建築士の試験は受験する価値があるのかどうかも気になります。


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2006.06.22

デジカメ画像はなぜ四角?

とるものもとりあえず」ヨコヤマさんの

カメラはやっぱきちんと角張ってなきゃダメだと思います。
というので思いだしましたが、なんでデジタルカメラの画像データって未だに四角いんでしょう?

 従来のカメラではフィルムとか印画紙の関係から写真は四角いものだとなったのかもしれません。でもレンズは丸いんだから四角いフィルムは写った画像の一部を切り取っている筈なのです。

 今、デジタルカメラが主流になって、画像サイズも「4:3」や「16:9」とかいろいろ出てますが、1:√2の規格用紙に(フチナシで)プリントアウトすることを考えるとあまり意味がないような気がします。またデータの角度補正加工をよくするのですが、丸いデータだと縁が切れることがないのできっと重宝します。

 撮るときに縦に構えることもなくなります。きっと使い易いと思いますが、そういう製品出てないでしょうか。


 ・・・・コメントにするつもりでしたが(カメラだけに)ピントがすれてきたので、
とりあえずTB。

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2006.06.20

新日曜美術館「丹下健三の生きた道」(BlogPet)

きのうconejoが、研究したかったみたい。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「conejo」が書きました。

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2006.06.19

『つくられた桂離宮神話』

 井上章一 著『つくられた桂離宮神話』読了。
 以前読んだ『美しくなれる建築なれない建築』でも称賛されていた本。ドイツの建築家、ブルーノタウトが発見したと言われる桂離宮。時代を追ってその評価がどのように変わっていったかが書かれている。

 桂離宮は何も変わらない。しかし、時代と共にその評価、焦点が変わっていくのが面白い。また建築界、美術界、文芸界、大衆といった違いによってその流行(?)の伝達速度や伝達順序があり、それらが交錯するなか噂だけが独り歩きしている部分があるという。

 おそらく現在も同じようなことが起こっているのだろう。マスコミによって発せられたニュースや意見、感想は伝わるうちにねじ曲げられて届いている。特に昨今のようなインターネットを通じて誰でも情報を発信できる状態ではなおさらだ。
 最近は新聞、テレビよりもネットの口コミの方が先に伝わっていることが面白い。


 評価が変わっていくと言ったが、この本は冒頭で著者が「桂離宮の良さがよくわからない」で始まりながらも、桂離宮を批判する意見は数少ない。様々な焦点、思惑から意見は変わるが桂離宮がイイというのは変わらないようである。

 そして次のような文章で前半を締めくくっている。

 ここにいたり、桂離宮は古典になった。読みとりや解釈が時代とともに変更されても、価値認識だけはうごかない。日本美の精華としてたたえつづける。そういう古典芸術になりおおせたのである。
 この「古典」というキーワードはいづれ考えてみたい。

 後半は一般大衆にどのように広まったかを検証している。
 その中で専門家の研究書と観光案内書の違いについて述べられている。専門家は構成上の芸術性を説明するが、案内書はディテールの説明や故事来歴を重視するということだ。
 なる程、住宅雑誌等に作品を掲載するときにキッチンのメーカーや水栓のメーカーを記入しなければならないのはこういうところにあるのか。
 逆にそういう時に書く文章はディテールの説明や、どこの木を使っただの説明が喜ばれるということか。

 しかし、こうしてみるとつくづく「建築とは言葉である」と感じる。

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2006.06.18

捨て去るものを捨て去って

吉田桂二氏の言葉

 町家には捨去るべき部分もある。それがあるのは事実だから、町家を過去のものとして見てしまうのであろうが、捨て去るものを捨て去って町家を現代のものとして蘇らせよう。
from 「チルチンびと 2006年 07月号」『町家の再発見』

 密集した土地に住まう都市型住宅の提案です。主に土地区画、建物配置から見た町家の再評価をされているのですが、町家〜古い建物の良さというのは構成部材の美しさというものもあります。

 全てを保存すべきとは言わず、捨去るべき部分を捨てるという話は、現存する町家に対しての提案かと思いまいたが、新たな住宅開発地に対しても町家型の区画割を提案されています。
 都市型住宅としてこなれていたところを否定して、都市に郊外型住宅を持込んだところに問題があるということのようです。
 設計者の立場から言えば住う可能性は高いのですが、購買者の価値観をどうくつがえすことができるかというのがポイントです。

 家の造りようが急変したのは、およそ半世紀ほど前のこと、太平洋戦争が終わってからである。戦後に急変したのはそればかりではない。社会の体制が封建制を拭い去って、民主化の方向へと大きく転換したことで、全てが否定された。
 戦後復興×封建制の崩壊が日本のモノを否定し、手本としたのがアメリカだったのが不幸の始まりだったような気がします。歴史のあるヨーロッパを手本としていればもう少し事情が変わっていたかもしれません。

 雑誌「チルチンびと」は今月号から隔月発行。発行回数が増えるので薄くなるのかと思っていたら逆に増量しています。

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2006.06.15

はてなに載ってた

人力検索はてな」の回答欄にこの「ちはろぐ」が載っていることを発見!(コチラ

・・・・もっと建材や住宅について勉強したいと思っています。何か新聞や雑誌で勉強できるものはないでしょうか?出来れば基本的な物が載っているものがいいです。
質問者は満足していただけたのでしょうか。(10ポイントだしな)

2004年12月の質問ということは1年半程前に掲載されていたのですね。
はてなの質問はほぼ毎日見てますが、全然気づきませんでした。
(アクセスが伸びたわけでもなかったし)

・・・・もっと建材や住宅について勉強できるよう頑張ります。


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2006.06.12

尼崎市寺町

尼崎市寺町界隈
 すぐ近くには「六甲おろし」の曲が流れるにぎやかな尼崎商店街があるのだが、わりとひっそりとした地区。
 尼崎城築城の際、この地区に寺が集められて形成されたそうだが、現在は尼崎城に代わってビル群がそびえ建つ。

 寺院を取り囲むレンガ塀が面白い。

 だけど、新しいと少し趣が異なる気がする。


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2006.06.11

両洋の眼展

「2006両洋の眼展」@尼崎総合文化センター

 お目当ては諏訪敦氏の作品。以前書いたように、そのリアルさと発せられるエネルギーに驚いたのだが、雑誌・ネットでしか見たことがなく、実物を是非とも見てみたかった。
 出展されていたのは『Walking On The Moon 』。人物のリアルさという点では群を抜く。けれども間近で見ると写真ではない、“描いている”という息遣いを感じることができた。

 事前に調べてなかったので、千住博氏の作品に出会えて得した気分。
 出展されていた作品『ミッドナイト』は滝が描かれている。ただそれだけだが、格が違うという雰囲気が漂う。爽かであり、幻想的である。近くに寄ると描かれていることが良くわかる。しかし離れて観ると絵の周囲から光が発せられているような気になる。

 ほかに気になったのは武田州左氏、田中稔之氏、豊島弘尚氏の作品。そしてポップなところで大沼映夫氏の作品。
 どうもリアルより抽象画の方がお好みなようだ。

関連リンク
2006両洋の眼展

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2006.06.09

「明淡高速船廃止へ」(BlogPet)

同社による.
とか書いてみるの♪


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「conejo」が書きました。

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2006.06.04

新日曜美術館「丹下健三の生きた道」

NHK「新日曜美術館」は『時代の顔をつくる〜建築家 丹下健三の生きた道〜』

 解説の藤森照信氏が「近代建築を研究すると丹下氏で終わる」というような事を話されていた。昨年亡くなられるまで活躍されていたので現在の人という意識があったが、モダニズム建築家として丹下氏で締めくくられるという。番組を見ているとあらためてその活躍した時代の長さを感じる。

 昭和初期、建築の主流が西洋の様式建築、それに対してモダニズム派も機能主義と称し装飾を廃しコストをかけないことを良しとする風潮があったようだ。
 そして、戦争・・・・戦後復興・・・・大阪万博。

 丹下氏の活躍が始まった頃はこういう時代であったということ。
 そしてモダニズム建築の造形美。
 しかし、伝統を粗末にしてたわけではなく、日本建築のモチーフをさりげなく取入れていた。

・・・・というあたり、今後へのポイント。

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