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2007.01.23

三木市の橋

豊地橋(三木市細川町)

普段気にせず通っていた幹線に架かる橋。ふと気づいて降り立ってみると鋲の打ち込んだ鉄骨橋だった。
昭和24年兵庫県建造」とあるから54年前に架けられた(造られた?)橋だ。当時は戦後復興の時代だったのだろうか。

検索してみると(最新情報でないかもしれないが)どうやら平成18〜19年で架け替え工事の予定があるようで残念。


共永橋(三木市口吉川町)
豊地橋で半世紀以上前の橋を見て驚いていたが、この共永橋は「昭和八年十月架」と書かれてあった。74年前。


こちらはコンクリート造の橋であるが、昭和ヒト桁とは思えない姿。(ホントに当時のまま?)

三木市は土木工事(造成・開発)が多いという印象だが、少し散策するだけでまだまだ旧い建造物に出くわしたりする。今のうちに出かけなければ・・・・


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三木市」カテゴリの記事

コメント

おお、ビルトH。っていうか鉄板トラス橋?。
いや、あれ?橋下と側面の写真が頭の中でつながらないや。
ま、いっか。

かつての橋は色っぽいものが多いですよね。
すっきりはっきりきっぱりしている最近の構造物よりも、
はるかにとどたどしくて、だから人間っぽい感じがします。

投稿: あさみ編集長 | 2007.01.23 12:41

あさみ編集長>ビルトH・・・・って言うのかコレ。そんな専門用語、最近忘れています。トラスではありません。鉄板とアングルで構成されています。

どうやって橋が架かっているのか気になってもぐりましたよ。滑ったら誰も見つけてくれないだろうなと思いながら。

投稿: ちはる | 2007.01.23 13:01

釈迦に説法ですが、御坂のサイホン橋は明治の建造ですし(川面から上流側に回るとレンガ造りなのがわかります)全景を見るなら防災公園の野球グラウンド脇の林の中へ入れば、下流側から御坂の谷を挟んで遠く大谷の山までサイホンが伸びているのがわかります。
そのサイホンで繋がっている淡河疎水は大正年間の完成ですし、三木市内で昭和初期の建造物は新しい部類に入りますよ。
人力で掘られた淡河疎水のトンネルは、落盤防止のため内部をピンコロ石で覆われていて、その一つ一つに日当計算のためか、運んだであろう人の名前が朱や墨を使い、ひらがなやハングル文字で書かれていて驚きます。
田んぼの中のため池にも、平安・鎌倉時代に築造された痕跡が残っていたりで、なかなか奥が深い土地ではあります。

投稿: をぢさん | 2007.08.24 00:19

をぢさん さん>コメントありがとうございます。

>三木市内で昭和初期の建造物は新しい部類に入りますよ。

そうなんですよね。
でも「新しい」とか「めずらしくない」とか
「それほど価値がない」とか・・・・
そういった中でいつの間にか消え去っていくものが多いと思うのです。
移りゆく風景はそう簡単には止められません。新しく変化することを否定するわけにもいきません。

でも現在の建設の流れではその地域らしさというものがなかなか出ないんですよね。
そういった中では地域のアイデンティティや愛着心というのは薄れていく気がするのです。

ならばどうすべきか。
まずは関心を持つことしかないと思うのです。
有名処は専門書におまかせして、自分の少しでも気になったことを書き留めていく。
そうすれば、をぢさん さんのような方の目に留まってコメントをいただくことができる。
もっともっといろんな方の目に留まったら・・・・
などと考えて書いております。

をぢさん さんはいろいろとご存知な様子。またいろいろ教えてください。

>田んぼの中のため池にも、平安・鎌倉時代に築造された痕跡が残っていたりで、

これは知らなかったです。どのあたりですか?最近はどんどん改修や埋立てが進んでいますね。

>なかなか奥が深い土地ではあります

そうなんですよね。でも「奥」に入らなかったらなんの変哲もない土地。
「奥」が残っているうちに入るべきだと思います。

投稿: ちはる | 2007.08.24 10:32

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