« 三木駅(BlogPet) | トップページ | 三木の鉄道(2) »

2009.11.17

三木の鉄道(1)

今年は三木鉄道・・・・といっても国鉄三木線、さらに播州鉄道について調べ物をしておりました。

三木鉄道の廃止についてやら、三木駅の保存がどうのこうのありますが、調べていくうちに「本当にこの鉄道は必要だったのか」というところが気になりだしました。

播州鉄道の三木支線は大正5年(1916年)11月22日に國包駅(現在の厄神駅)から別所駅まで開通、翌年1月23日に三木駅まで開通しましたが、元々加古川水系美嚢川舟運を鉄道に代替する目的で、美嚢共同農業倉庫(三木農業倉庫)の専用線として敷設されたのようです。(「ひょうご懐かしの鉄道―廃線ノスタルジー (のじぎく文庫) 」記載 国鉄貨物局発行『専用線一覧表』をもとに)

これを見てると、北条線とか他の線も農業倉庫の専用線になっているので「よそがやるからオラの町も」という匂いがしないでもありません。

三木の産業は金物が発達していましたが、金物の輸送は既に陸路が整備されており(ソース失念)、鉄道にそれ程期待されていなかったような感じです。


|

« 三木駅(BlogPet) | トップページ | 三木の鉄道(2) »

三木市」カテゴリの記事

コメント

何度も失礼致します。
加古川線をはじめ、高砂・三木・北条・鍛冶屋線の各線は、たしかに加古川水系の舟運の代替輸送機関として生まれました(加古川舟運が学生時代に取り組んだ卒論でしたので)。

又、三木・北条・鍛冶屋線も加古川線に貨物列車が走っていた頃は、貨物も扱っていましたし、三木駅などはそれなりに小荷物の取扱量(特に金物関係)もあったそうです。
しかし、加古川線の貨物廃止に続いて国鉄の小荷物廃止で高砂・三木・北条の両線と鍛冶屋線の西脇駅以北は役割を終えたのかもしれません(逆に言えば、鍛冶屋線の野村-西脇間は残すべきだった)。

旅客輸送だけでは存続が難しいという事は、勤務していた私も薄々分かっていましたし、事実上、黒字転換は永久に不可能というのは北条鉄道も同じでしょう。
第三セクターとして残す必要があったのか、三木市も検証してもらいたいです。

投稿: すみもと | 2009.11.17 21:02

すみもとさん>
いろいろ教えていただきありがとうございます。
何度でもお願いいたします。

さて、金物関係の小荷物ですが、国鉄貨物ではそれなりに利用されていたようですね。
貨物発着場跡のトラスには「北海道」「東京」「三条」とチョークで書かれた行き先がつい最近まで残っていました。
(移設されたあとは見ていません。まだあるかな?)

三木線は金物の輸送として敷かれたであろうとと思っていたのに、農業倉庫の専用線だったというのが驚きでした。

当時金物は舟運に頼らず陸路が整備されていたので、舟運に代わる鉄道は必須ではなかったようです。

投稿: ちはる | 2009.11.18 09:13

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/3635/46785974

この記事へのトラックバック一覧です: 三木の鉄道(1):

« 三木駅(BlogPet) | トップページ | 三木の鉄道(2) »