11月のつぶやき第4週
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年賀状の季節。最近は郵便局で売っている年賀状もインクジェットプリンタ出力用にコーティングした年賀はがきが売られていたりします。画像の「写真用」というのは1枚当り通常より10円高いのですが、市販されているプリンタの写真用紙もそのくらいの値段はするのでくじ付である分お得かもしれません。
ところが驚いたのがこのはがきの注意書に「染料系インクジェットプリンタ専用です。」とあります。また裏の取扱説明には「この葉書は、インクジェットプリンタ(染料系)専用(フルカラー顔料系プリンタではお使いになれません。)です。…」と書かれてあります。
染料か顔料かなんてあまり気にしなかったですが、「使えません」とまで書かれているので注意が必要です。私の使っているプリンタはたまたま染料系だったので良かったですが、年賀状300枚とか買ってきて実は顔料系のプリンタだったとかだと悲しくなります。(使ったらどうなるかは知りませんが…)
概ね早く乾く顔料、色のきれいな染料というような感じみたいですが、EPSONのプリンタ現行機種でいいますと、廉価クラスのプリンタに顔料タイプが多いです。とりあえず安くてもいいというなら紙質も高くなくていいということでしょうか。(染料系は普通紙に印刷するととても期待はずれですが)
EPSONのプリンタはカタログでも染料、顔料がはっきり明示されていて見分けが楽です。例えばこちらのプリンタは染料系。このプリンタの専用インクは『 IC6CL50(6色セット)
』ですが、このインクは普段使っております。色はキレイですが正直減りが早くてお値段高いのが気になります。
しかし画質を見比べて些細な違いでもキレイなプリンタを選んでおきながら、純正インクを使わないなんて馬鹿げてると思うのであります。…だから、もう少し安くしてください…
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明石駅前交差点に建つビル。「テネシービル」
定礎石によると1968年12月竣工のようだ。ちょうど駅前の開発が進む頃に建てられた建物。 永く目にしていた建物なのにあまり気に留めなかったが、こうしてゆっくり眺めてみると味のある風格を持っている。
国道2号線沿いの建物は同じ頃に建てられたものがいくつかあるが、外装の更新などで当初の趣を楽しめる建物は少なくなってきた。
簡素なデザイン要素であるが、こうして時を経てさらに印象に残る意匠を持っている。 現在明石市が進めている駅前再開発によりこの一帯はどのように生まれ変わるのか。どうせ建てるなら50年を経ても印象に残る建物を計画してほしい。
足元には明石市道路元票があった。路元票の設置が定められたのは1920年(大正9年)。明石市は1919年(大正8年)に市制施行しているので(神戸、姫路、尼崎に続き兵庫県で4番目。市域は現在とは異なる)道路元票も「明石市」表記になっている。「市」表記の道路元票は珍しい。
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『センゴク天正記
』12巻
10巻から3巻にわたって掲載された三木城攻略の章が終了しました。
郷土史や竹中半兵衛、黒田官兵衛などの歴史小説などでは三木城攻めの話は読んだりしましたが、やはりコミックですと理解がしやすいです。
また最近三木城関連の史跡が多く発見、調査されており、三木市も三木城跡及び付城跡群の国史跡指定に向けて動いているようです。『センゴク天正記』もわりと最近の資料をもとに描かれているようです。
(最後、大量虐殺があったともなかったとも取れる終わり方が興味深い)
三木城趾にある別所長治公像。三木にいますと「別所長治公」までが固有名詞として覚えます。「公」が敬称だということははるか後になって知りました。別所長治公辞世の句。「今はただうらみもあらじ諸人のいのちにかはる我身とおもへば」という句はテストに出ます。
図書館横にある埋蔵文化財展示室(旧三木高等女学校1階)では三木城とそれを囲む秀吉軍の配置模型が展示されています。(もっと宣伝すべき)
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松前健 編 『稲荷明神』
この本は稲荷明神、稲荷信仰について記されている。興味深い内容が多々あるが、鞴祭について抜出し考察する。
京都の伏見稲荷大社で執り行われている〝特殊神事〟(その神社固有の神事)に火焚祭(ひたき、火焼神事、冬御祭、冬祭、冬期御祭、冬期神祭、吹革祭(ふいかう)などと称した)がある。
(伏見稲荷大社の)火焚神事および火焼次第は、そのポイントに〝大祓詞〟があり、かつ焚き上げられた火の霊力に除災招福を期待するのをみてとることができる。これは先に示した〝ひたき=神前火焚の儀〟にうかがえる農耕儀礼から、展開を示すものと考えられている。
これについて、鍛冶職に携わる人々の、火・炎に対する畏怖の念とともに、それをたのみとする信仰が、やがて〝ふいご祭り〟として確立し、ついには伏見の稲荷社の〝ひたき=冬御祭〟と同一化していくが、その前提として、謡曲『小鍛冶』の存在は注目に値する。『小鍛冶』の成立は天正12年(1548年)以前にさかのぼるとされ、あらすじは、一条院に御剣打つべしと命ぜられた三条小鍛冶宗近が、相鎚にふさわしい者が得られるよう祈願のため稲荷神社へ参詣する…
伏見稲荷大社の火焚祭はあくまでも農耕の儀礼だった。しかし火を焚く神事から農耕以外にも関連する鈎となる。
ここで火焚祭の別名が「冬御祭」というのが面白い。「ふゆごまつり」という語呂に「ふいごまつり」が重なってきたというのは有力な説となり得るのではないかと思う。なぜ鞴なのか。鍛冶屋の祭りなら鎚ではいけないのかという疑問に明解に解釈を与える。
『小鍛冶』には鍛冶屋と稲荷神社との関係も謳われているが、それが前提にあったとしても「ふゆごまつり」≒「ふいごまつり」という音が結びつけたのではないかと思う。
時代的には享保17年(1732年)に伏見稲荷社で「吹革祭」または「ふいご祭」が行われたという文献があるという。
11月8日の祭りを、農耕者が祈願する〝ひたき〟祭りと称される一方において、工業者が祈願する〝ふいご〟祭りと明確に別の名称で表現されている。これは、稲荷明神にもっぱら年穀豊穣を祈願していたところに種々の折りが積み重ねられ、ついには自分の生業の繁栄を願うにいたるという信仰の拡大展開が示されているように思う。
農業以外の人々が祈願するようになったとはいえ、なぜ鍛冶職人の鞴祭なのかといえば「火・炎」と「ふゆご」の音であろう。鈎に最も引っ掛かったわけだ。
火焚きは、古い時代の人々が、冬至のころ、神の働きのしるし、あるいは依代と考えた稲藁に火を点じ、そこから立ち昇る煙とともに神を元の御座(みくら)に送り、来る年の日照の復活=神威の甦りを願う民俗行事(鎮魂儀礼)が形を整えて継承されたもの、との考え方が一般的のようである。
しかし、伏見稲荷大社の火焚きが、恒例の祭事として古くから伝承されたものであるか否か、しかも神供をともなう祭典としてのそれであったかというと、社内に伝来する史料を見る限りでは、即座に応とはいいがたい。
火焚きが古代の信仰によってもたらされたものであるなら古くからの神事であるが、史料ではそう古くはないとのことだ。火焚き自体は古くから行われていたかも知れないが、祭典としては慶安4年(1651年)ころではないかということらしい。
1651年頃に京都の伏見稲荷大社で火焚祭が始まり、80年後の1732年頃までに鞴祭が行われるようになった。
丁度4代将軍徳川家綱~8代将軍吉宗の頃である。戦乱の世が過去のものになり、江戸の都市形成が進み栄えた時代である。短い期間に見えるが稲荷社や鞴祭が江戸に広まったという可能性は十分ある。(1690年代の紀伊國屋文左衛門が鞴祭用の蜜柑を運んで大儲けするほど広まっていたかは疑問である。
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11月ですが小春日和が続いているので助かります。
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【番外】
「洗濯機の置き場所はどこがいい」
: 浴室の隣接した位置が一番便利だと思う。
「sikaku 三角スケール」
: これは知らなかった。四角い三角スケール。
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