『若者殺しの時代』
堀井憲一郎 著 『若者殺しの時代』
古い建物や地域の歴史を調べていると時代の変換点が感じられることがある。大きくは室町戦国時代。現在にも流れる過去の風習をみるとだいたいこの頃にたどりつく。平安時代に始まったといわれる風習でも庶民に広まったのはこの頃ということも少なくない。そして幕末から明治の変換点。西洋文明の流入と幕府政権の否定。そして戦後。明治以後再構築した日本の否定と大量消費の時代。
大きくそのようなことを感じていたが、戦後の変換点として80年代を挙げるというのがこの本。
主に民俗、サブカルチャーに視点を置いているが、興味深い内容である。挙げられている項目はまとめられているあとがきより抜粋すると
1983年 恋愛のクリスマスが始まる
1987年 男子が恋愛のクリスマスに追いつく
1987年 TDLが聖地化しはじめる
1989年 貧乏を完全に捨てた
1989年 カルチャーとしてのマンガを捨てた
1990年 文章は機械で書くものになる
1991年 ラブストーリーを見て女子が勝手に恋愛レートを上げた
1991年 そのぶん男子のためのヘアヌードが安くなった
1993年 女子高生の性商品化が始まる
1997年 携帯電話で社会が覆われる
1997年 大学の「単位」が「来る」ものになり世界はバーチャルになる
本文はこれらの内容が述べられているだけの本。この時代を知っている者にとってはよく分かる文章だ。しかしこの時代を知らない者にとっては全然わからないかもしれない。後の世代が分からないというところが「変換点」。気づかなかったが昭和と平成の間に変換点があった。
ただこのように庶民の暮らしは変わっているのに社会のシステムは変わらない方針を選んだ。そのしわ寄せが若者に押し寄せているという。
そもそも社会のシステムの1タームの基本はおよそ60年である。それは一人の人間が使いものになる期間が、だいたい60年だからだ。15歳から75歳くらいまで。社会システムの耐用年数と人一人ぶんの生涯と、だいたいリンクしている。それはシステムの継続が人間の記憶をもとにしているからだ。だから初期記憶がとても強く、それが継続されるならば、システムは2ターム、3タームと続く。
明治維新で作り上げたシステムも、大敗戦後にあわてて作り直したシステムも、どちらもやっつけ仕事なので、1タームしかもたない。
早ければ2015年を過ぎたころに、大きな曲がり角にでくわしてしまう。
僕たちの社会が大きく変わるのは、つねに外圧によるものだ。アメリカの力と、中国の目論見しだいで、大きく変わってしまう。早ければ2015年に倭の国は乱れる。
筆者は若者に対して社会から逃げろという。古くなったシステムを使ってメリットあるのは古い世代だけ。「若者」という位置づけも70~80年代に消費拡大のターゲットとして確立されたという。当時若者だった世代はその恩恵をもったままその座を次の世代に引継がなかった。恩恵を受けられない現在の若者はそのシステムから逃げるべきと。
しかし社畜から逃れニートとなっても社会のシステムは追ってくる。逃げ切れないなら太刀打ちできるのは伝統文化であるという。伝統職も該当するであろう。社会のシステムに左右されない位置を得られるのは。
伝統文化、伝統職も蝕まれてきているが、それでも次の座を確保するためにつなげていく取組みを続けていきたいと思う。
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