2015.03.02

プロとして一生使える木造住宅ディテール集


プロとして一生使える木造住宅ディテール集 (エクスナレッジムック)

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伝わる建築実施図面の描き方


これで完璧! 伝わる建築実施図面の描き方 (建築設計シリーズ4)

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2014.03.13

「有次と庖丁」

Twitter経由で知る。
Aritsugu
有次、見に行った。もう少し早ければいろいろ参考になったかも。

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2013.01.19

『若者殺しの時代』

堀井憲一郎 著 『若者殺しの時代』

古い建物や地域の歴史を調べていると時代の変換点が感じられることがある。大きくは室町戦国時代。現在にも流れる過去の風習をみるとだいたいこの頃にたどりつく。平安時代に始まったといわれる風習でも庶民に広まったのはこの頃ということも少なくない。そして幕末から明治の変換点。西洋文明の流入と幕府政権の否定。そして戦後。明治以後再構築した日本の否定と大量消費の時代。
大きくそのようなことを感じていたが、戦後の変換点として80年代を挙げるというのがこの本。

主に民俗、サブカルチャーに視点を置いているが、興味深い内容である。挙げられている項目はまとめられているあとがきより抜粋すると

1983年 恋愛のクリスマスが始まる
1987年 男子が恋愛のクリスマスに追いつく
1987年 TDLが聖地化しはじめる
1989年 貧乏を完全に捨てた
1989年 カルチャーとしてのマンガを捨てた
1990年 文章は機械で書くものになる
1991年 ラブストーリーを見て女子が勝手に恋愛レートを上げた
1991年 そのぶん男子のためのヘアヌードが安くなった
1993年 女子高生の性商品化が始まる
1997年 携帯電話で社会が覆われる
1997年 大学の「単位」が「来る」ものになり世界はバーチャルになる

本文はこれらの内容が述べられているだけの本。この時代を知っている者にとってはよく分かる文章だ。しかしこの時代を知らない者にとっては全然わからないかもしれない。後の世代が分からないというところが「変換点」。気づかなかったが昭和と平成の間に変換点があった。

ただこのように庶民の暮らしは変わっているのに社会のシステムは変わらない方針を選んだ。そのしわ寄せが若者に押し寄せているという。

 そもそも社会のシステムの1タームの基本はおよそ60年である。それは一人の人間が使いものになる期間が、だいたい60年だからだ。15歳から75歳くらいまで。社会システムの耐用年数と人一人ぶんの生涯と、だいたいリンクしている。それはシステムの継続が人間の記憶をもとにしているからだ。だから初期記憶がとても強く、それが継続されるならば、システムは2ターム、3タームと続く。

 明治維新で作り上げたシステムも、大敗戦後にあわてて作り直したシステムも、どちらもやっつけ仕事なので、1タームしかもたない。

 早ければ2015年を過ぎたころに、大きな曲がり角にでくわしてしまう。
 僕たちの社会が大きく変わるのは、つねに外圧によるものだ。アメリカの力と、中国の目論見しだいで、大きく変わってしまう。早ければ2015年に倭の国は乱れる。

筆者は若者に対して社会から逃げろという。古くなったシステムを使ってメリットあるのは古い世代だけ。「若者」という位置づけも70~80年代に消費拡大のターゲットとして確立されたという。当時若者だった世代はその恩恵をもったままその座を次の世代に引継がなかった。恩恵を受けられない現在の若者はそのシステムから逃げるべきと。

しかし社畜から逃れニートとなっても社会のシステムは追ってくる。逃げ切れないなら太刀打ちできるのは伝統文化であるという。伝統職も該当するであろう。社会のシステムに左右されない位置を得られるのは。

伝統文化、伝統職も蝕まれてきているが、それでも次の座を確保するためにつなげていく取組みを続けていきたいと思う。

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2012.11.25

コミュニティデザインの話を聞いて

11月24日フェリシモ神戸学校第187回 山崎亮さん 受講メモ

山崎亮さん…はっきり言って避けていました。「ランドスケープデザイナー」という肩書でまちづくりのソフト的なことをやってる人。…あんまり自分と重なるカテゴリにはいないと感じていたけど、まぁ(この業界の)人々が騒ぐからちょっと気になるなという気持ち。『まちへのラブレター』も買ったけど、乾久美子さんだからまぁ損はないなという気持ちで。(それでもまだ完読していない)

話を聞いてみて「あ、この人はデザイナーだ」と思った。アーチストではなくデザイナー。まちの、ひとの未来をできるだけ幸せになる方向に導くしくみをつくる人。「デザイン」というのは物事を秩序づけること。秩序の基準を探しだし役立つ仕組をつくること。
「コミュニティデザイン」という新しい仕組をつくっているが、現在のまちに本当に重要なデザインだと感じた。

公共施設をつくるにしても利用する人たち、それもある一定数の固定利用者を確保するためのしくみをつくろうとしている。それは「使われない施設は意味がない」ということ。
建物ができれば人は利用するという時代は終わった。建物が良ければ人は利用するという保証はない。
建物ができれば人がくるという時代が終わったのだから、何かしら仕掛けをしなければならない。ソフトがタダである時代も終わった。ソフトづくりにはコストがかかるのだ。
しかしハードのコストを下げ、その分ソフトのコストを上げても全体のコストを抑えることは可能。建物ができる前からソフトを準備しオープン時にソフトを受入れる体制づくりを主張されている。

まちづくりにしてもソフトを重視する。「つくらないデザイナー」というがソフトもまず既存のコミュニティを活用する。誰をどこに集めれば他のコミュニティが動くか。そこに新しいコミュニティを発生させることができるか。これらをただ単に成り行きにまかせるのなら素人の域である。自分の描く秩序に組上げていくところがデザイナーたるところである。誰でもできそうに見えて相手やプロジェクト、その場の状況で変わる流れに答えを出していく技は容易くない。話の中ではいくつものパターンをあらかじめ想定しておきその状況に応じてどういう方向にすすめるか応えを準備しているということであったが、ボードゲームが相手との対戦だけで何手先も読むことを考えるといったいどれ程の手を読む必要があるのだろう。
現在のまちづくりに不可欠となるジャンルの専門家である。今後ソフトづくりとその専門家の必要なことが当たり前となることを期待する。(山崎さんはコミュニティデザイナーが不要な社会が理想だと言ってたが、それはその先の話)

今回の話の内容については『コミュニティデザイン』とか『コミュニティデザインの時代』に詳しく書いてあるようだ。

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2012.10.28

『宮本武蔵は名君小笠原忠真の「隠密」だった』

濱田昭生 著 『宮本武蔵は名君小笠原忠真の「隠密」だった』

剣豪 宮本武蔵は明石城下町の町割りに携わったとされている。しかし剣豪がなぜ土木事業に携わったのかという説明は聞いたことがない。現在明石でも宮本武蔵がつくったという庭が残っていたりするが、剣豪がつくったということで有難いのかと気になっていた。
書家、画家、文豪としても評されている宮本武蔵は一体何者なのかという疑問に新説を投げる1冊。

中身は宮本武蔵が巌流島の戦い以後剣豪としてではなく如何に活躍したかという内容。それよりも初代明石城主 小笠原忠真(織田信長と徳川家康のひ孫)の活躍についての方が詳しいかもしれない。
まとめると
→宮本武蔵、大坂夏の陣に水野勝成の軍にて東軍に参戦。水野軍に本田忠政軍もいた。
→水野勝成、城を焼き払われた大和郡山を与えられる。城野再建、城下整備を宮本武蔵も手伝う。
→大阪夏の陣以降西の最前線姫路城城主池田輝政、二代目利隆が相次いで死去、姫路に本田忠政が入る。本田忠政に宮本武蔵が接近。
→本田忠政が姫路に入る際、既に姫路城が完成していたので石高を下げるため姫路藩を分割。明石藩に小笠原忠真が入る。西国強化するため明石城築城命令が幕府より下る。
→小笠原忠真の正室は本田忠政の娘(亀姫)であるところから本田忠政と近く、その縁で宮本武蔵が明石城下町の町割りを手伝った。
→本田忠政が亡くなったため、武蔵小笠原忠真に身を寄せる。
→外様大名の席巻する九州で熊本加藤忠広改易、島原の乱など騒動が続く。九州鎮護のため小倉の細川忠利(正室千代姫は小笠原忠真の妹)が熊本に、小笠原忠真が小倉に移った。そこに宮本武蔵もついて行った。

その後、九州では大きな争乱がなかったのだが、それは小笠原忠真が未然に防いだからだと本書はいう。そこに宮本武蔵が熊本細川藩に仕えたことが関係するということが述べられている。
宮本武蔵の生涯よりも、江戸時代初期の大名の動き、小笠原忠真の静かな活躍についてわかりやすく説明されている1冊であった。

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2012.10.08

『はじめての編集』

菅付雅信 著 『はじめての編集』

「編集」といっても主に出版物、そしてwebに関するデザインについてのガイダンス。実際にあった12回の講義の記録から編集されているので、講義に参加しているように読んでいけるが、大きな講堂ので聴講するかのように参考写真は小さくて見えにくい。(先人に囚われるなということか)
参考になりそうなところをメモ

まえがきより

僕は「編集」を次のように定義しています。
「企画を立て、人を集め、モノをつくる」こと
音楽の基本要素は「メロディ、リズム、ハーモニー」の3つだと学校の授業で習ったと思います。それに倣っていえば、編集の基本となる3大要素は「言葉、イメージ、デザイン」だと僕は考えます。


以下「企画」「言葉」「イメージ」「デザイン」について掘りさげた講義が続いていく。

「企画」では目的をもとに「新しい」「提案」「独占」「挑発」「再提案」などの手法を用いることが有効である。また異なるモノを掛合わせ、キャスティングしていくという内容である。
様々な要素が出てきているように感じるが、のちの「デザイン」の章では「きまりをつくる」というところに収束する。

印刷が発明される以前から編集は行われてきたという話にはじまり、現在Twitter、blog、Facebookなど個人で発信する時代、クリエイティブな人はどう評価されるのか。

現在はアーティストの作品が、その人自身のアウトプットの小さなひとつにすぎないのではないかと思うのです。つまり、「クリエイター>作品」になってきています。以前は「クリエイター<作品」、つまり情報の流通量が少ない時代においては、作品というのはクリエイターよりも遙に大きい存在でした。しかし今は違います。人生の方が作品よりもはるかに情報化されて、伝わっているわけです。ということは高く評価されるクリエイターになるには、評価される人生を送るしかありません。
自分自身を「作品化」するということまで言及している。
最終章では『ところで「美しい」とは何?』と題し、数学、音楽、建築を例に「きまりがあること」、新しいアートは「きまりをつくること」と記されている。

評価されるということは自分のスタイルをつくるということ。じぶんのきまりをつくりそれを守るということにつながりそうである。

【追記】
「きまり」というのは「作法」でもある。作法(きまり)が建物のデザインに及ぶ代表的なものが茶室と言える気がする。

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2012.06.09

「蒼い旋風」の黒田官兵衛が美形

「蒼い旋風」全2巻 三浦浩子 著

足利13代将軍義輝の娘が主人公。永禄の変で義輝が討ち取られ逃げるところを黒田官兵衛に助けられ、播磨の別所家を頼るが官兵衛と恋に落ちるというストーリー。
黒田官兵衛との子が後藤又兵衛だというどこまでが史実に基づいているのかよくわからないけど、黒田官兵衛が美形に描かれているのは珍しく思いました。

昭和60年~61年(1985~86年)発行のコミック。絶版みたいですが、こちらから少し立ち読みできるようです。 → コミックパーク (全巻購入は高いな)

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2012.02.17

『センゴク天正記』と地域性

センゴク天正記 』13巻
毛利勢との戦が始まろうとしています。
黒田官兵衛言うところの

「中国方面は元来天然の要塞が多い故、国人(中小領主)一つ一つが強固」「故に当主は国人を強固に支配すること能わず」「必然毛利の大成は織田と相反する国人連合体〝衆中〟となる」
秀吉言うところの
「織田家じゃあ当主の上意は絶対じゃが、毛利はあくまで国人衆の合議で動く…」
というところが気になります。これを読むと播州地域も中国文化圏に属している気がします。現在でも合議を優先し、誰かがトップに立って仕切ることをしません。合議といっても話し合いの前に根回しが必要なのであります。
これがお隣の摂津地域では誰かをリーダーとし、その人の下に組織づく体制のような気がします。
作者の宮下英樹氏はどのように調べられたのかわかりませんが、今も残っている地域性が室町時代以前にさかのぼるというのが驚きです。しかし地形的な所以があるなどと言われれば納得してしまいそうなのであります。

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2012.01.14

『愛国消費』


三浦展 著『愛国消費 欲しいのは日本文化と日本への誇り』
著者はマーケティング・アナリストであり、この本では多くのアンケート資料を元に現在の若者が日本嗜好であると説明している。アンケート資料は都合の良いところだけ抜き出すことも可能なのでどうかと思うが、これからの日本(の地方)は地域の誇りを大事にすべきという話。
参考になりそうなところをメモ


戦後から高度成長期、アメリカのような経済大国をめざしてきた。
1962年(昭和37年)東京オリンピック、開会まではできるのか不安だったが成功。 1970年(昭和45年)大阪万博、達成と国民の日本に対する自信。
1970年代、石油ショックにより「高度成長」の終焉。「新しい日本」と「自分探し」の素地。
1980年代、自分らしさがわからずマニュアル志向。
1990年代、マニュアルにとらわれない自分探し
多様化→現在に至る?

そのような中、国家と個人の中間が重要になっているという。高度成長期は国家と自分を同調させているのが最善であったが、成長も衰えた現在は個人と個人がつながる世界が重要であるということのようだ。

その個人をつなぐ触媒として日本の伝統行事や文物に注目があつまるという。
「大きい物語」のそれは「京都」や「奈良」といった日本を代表するものであったが、「中くらいの物語」ではそれぞれの地方の伝統行事や文化がそれを担う。

 どんな地方にも、その地方なりに、たとえささやかでも歴史があり、物語があり、伝統や神話もある。伝統文化もある。独特の生活や言葉がある。そういうさまざまな地方の文化が、新しい時代に適応しつつも、その地方ごとの「地方らしさ」を失わなければ、日本には無数の個性的な文化が並び立つだろう。それは、たったひとつの「日本らしさ」がある国よりももっと豊かな国であるに違いない。
「その土地に生まれ育った者が特権的にもつ郷土愛だけでなく、より多くの人々にさまざまな立場からその都市のファンになってもらわなければならない。」

本の全体からは今は地方の伝統文化が強いんだということ、郷土愛によってつながりをもつところが強いんだということが書いてある。全国的に画一化をめざした時代から地方独特の個性を発信する時代になったのだ。画一化されずに伝統を保ってきた地域は好カードを残していることになる。

広がっているために、仮にお金があっても、それを使う対象も、美容やファッションだけではなく、いろいろなものに広がっているのである。こうしたトレンドの変化に百貨店はついて行けていない。百貨店にカメラ売り場もパソコン売り場もスポーツ用品売り場も山岳用品売り場も建築図書売り場もないのである。これでは売り上げが減るのも道理であろう。

これは地方で何をすべきかという参考になる。百貨店以上に何でも揃えればいいのではない。

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