2012.09.29

加古川レンガ工場取壊しに思う

東京駅の丸の内口の赤煉瓦駅舎が復原され10月1日からリニューアルオープンされる。施された装飾も価値があるが、赤煉瓦の材質を活かしたフォルムは懐古的というだけでなく、現代の感覚でも人々に支持される美しさであるだろう。かつては取壊しもっと土地を有効活用すべきという意見もあったが、こうして建物の意匠的な価値を重視した改修が行われた。

加古川市にあるニッケの工場跡は明治32年(1899年)創業された煉瓦造群の建物である。一部は県道や加古川土手からその姿を望むことができ、100年以上も続くいい景観である。しかしこのたび敷地は加古川市に売却され市民病院が建設されることになっている。
関連記事『明治期のレンガ塀や倉庫見納め 旧加古川工場跡地』(2012/08/19 神戸新聞)

なぜ「更地の状態で引き渡し」という契約になったのか。全保存は機能的に不可能だということは想像できる。では外部に対する景観、病院という癒しを求める施設ということを配慮して一部を残し、活かそうという可能性を出すことはできなかったのか。
事業はPFI方式で行われている。市民病院といえども民間業者が経営等も含め提案、運営していく。景観とか憩いという市民サービスの概念は必要ない。そういうものは初期費用を上げるだけの荷物である。市民サービス全体を考えれば必要であるが、市民病院だけで考えれば必要ないのである。

では市が条件として建物の一部活用を入れる事ができなかったのか。
おそらく医療問題に対して景観問題があまりにも小さすぎた。市民にとってレンガ塀はそれほど重視されていなかった。広い加古川市全域から考えればその存在を知らない人も多かったのではないだろうか。

市民が知らなかった、関心がなかったということは加古川市の地域性に起因する気がする。
加古川市の中心部、加古川町は明治22年(1889年)に町制施行をしたが、戦前に鳩里村、氷丘村を編入、戦後昭和25年(1950年)に神野村、野口村、平岡村、尾上村と合併し市制施行している。その後も別府町、八幡村、平荘村、上荘村、東神吉村、西神吉村、米田村の一部を編入、昭和54年(1979年)志方町を編入して現在の市域ができている。市域のほとんどが戦後合併、編入された地域であり「別の地域感」が残っていることが想像できる。
また戦後加古川市は神戸、大阪のベッドタウンとして、また工場の従業員として他から移り住んできた人が大多数を占めるようになってきた。元々あった地域の歴史にそれ程関心をもつことがなかったのかもしれない。高度成長期は古きものを捨て新しい生活を謳歌する時代であった。

歴史といえば加古川は古くから歴史上重要な土地とされているにもかかわらず、歴史の物語の中にはあまり登場しない。古くはヤマトタケル神話から聖徳太子と鶴林寺の話、宮本武蔵の伝説など所々話は出てくるが、大きなストーリーの中で重要な場面は聞かない。城下町として発展したのではなく加古川の舟運による商人の町として発展したことが大きいからだろうか。歴史上のシンボルがあまり見えない。文化財は数多く保有しているのになかなか市民に浸透していない状態だ。これらが新しく移り住んできた人たちが歴史遺産に関心を持っていない理由の一つではないかと感じる。

実は新しく移り住んできた人は他の地域との比較が容易なので歴史遺産を発見、興味を抱くことが多い。長年地元に住んでいる人の方がその価値を知らずにいることが多いのである。
それでも今回レンガ工場がそれ程大きな問題にもならず取壊されるということはどういうことだったのか。今後のために覚え書きしておく。

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2012.04.19

公会堂

公会堂についてメモ
安城市今村公会堂のページより

公会堂と名の付く建築は、明治の中頃から建てられるようになりました。明治期は政治色が濃く、限定された利用者を対象とした建物でしたが、大正期以降、一般大衆を対象として娯楽や文化・教育の向上を目的に建てられるようになりました。

現在よくある「公民館」は昭和24年(1949年)、社会教育法の施行に伴い配置されていった。文部省の補助によるところが大きいようだ。
一方「公会堂」は地域の有力者や住民が費用を捻出したことが多いようである。

日比谷公会堂、中之島公会堂、御影公会堂のような大きなものだけでなく、むら毎に公会堂が建設されていったことが興味深い。

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2011.11.15

明石の古いビルと道路元票

 
明石駅前交差点に建つビル。「テネシービル」
定礎石によると1968年12月竣工のようだ。ちょうど駅前の開発が進む頃に建てられた建物。
永く目にしていた建物なのにあまり気に留めなかったが、こうしてゆっくり眺めてみると味のある風格を持っている。
国道2号線沿いの建物は同じ頃に建てられたものがいくつかあるが、外装の更新などで当初の趣を楽しめる建物は少なくなってきた。
簡素なデザイン要素であるが、こうして時を経てさらに印象に残る意匠を持っている。
現在明石市が進めている駅前再開発によりこの一帯はどのように生まれ変わるのか。どうせ建てるなら50年を経ても印象に残る建物を計画してほしい。
足元には明石市道路元票があった。路元票の設置が定められたのは1920年(大正9年)。明石市は1919年(大正8年)に市制施行しているので(神戸、姫路、尼崎に続き兵庫県で4番目。市域は現在とは異なる)道路元票も「明石市」表記になっている。「市」表記の道路元票は珍しい。

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2011.10.25

野村町公民館



野村町公民館(兵庫県西脇市野村町)
竣工:昭和49年(1974年)
設計監理:西脇市役所
施工:曽根組
(定礎石より)


入口脇の巨大なレリーフが目を引く建物だ。1970年代のシャープなラインは昭和モダン建築の流れを持っていると言える。

 
県道に面した側は増築部分が目立って少々残念であるが、屋外らせん階段と柱・パラペットの織りなすグリッドの対比が特徴的である。

以前書いた「西脇市役所・市民会館」もそうだが、西脇市の建築を見てまわると面白い。

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2011.05.18

「ナメラ」という地名

三木市には「ナメラ」という地名がある。「ナメラ商店街」という看板も上がっており、ここを訪れる観光客はその語感に興味を持たれるようだ。

ナメラとは「滑原」と書き、福本錦嶺 著『三木の地名録』には

滑原(なめはら)とは川の中に滑らかな岩が突きでている原っぱから付けられたものである。人が呼んだ地名である。
と記されている。側を流れる美嚢川は現在この辺りから川幅が広くなっており、川にまつわる地名であると想像できる。

ところで、明石の古い地図を見ていると「なめら町」という地名があったことに気がついた。

島田 清 著『明石城』に載っている「享保年間の明石城下図」(『再摂大観』-明治44年刊-より)である。これに明石城下町の図が載っているのだが、現在魚の棚商店街を形成する一画に「なめら町」が記されている。


享保年間とは1716年から1735年までであり将軍徳川吉宗の時代である。

三木市の滑原は三木城内にあり、中島丸と呼ばれていたそうだ。(『三木の地名録』より)
しかし、享保年間になると三木城は取壊されており、「人が呼んだ地名である」ということはそれ以前から非公式に呼ばれていた可能性もある。明石城の築城に三木城の資材を使ったという話や魚の棚は三木の方が古くからあったという話を聞くと、この「なめら町」という地名もなんらかのつながりがあるのではないかというような気がしてならない。

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2011.05.17

山崎町の大歳神社

先日の日曜日、宍粟市山崎町にある大歳神社を訪れた。

「兵庫県 大歳神社」で検索すると当ブログのページかこの神社の紹介記事かというくらい有名な神社である。
有名となる理由が「千年藤」と呼ばれる藤の木で兵庫県指定文化財〈天然記念物〉に指定、環境省「かおり風景100選」に認定されている。
今年の春は気温が低く開花が遅れたらしいが、先週に続いた豪雨のため既に見頃を終えてしまったらしい。

ところで、ここの「大歳神社」は「ださいじんじゃ」と読むらしい。
広島県三次市に「太歳神社」と書いて「ださいじんじゃ」と読む神社があるらしい。(Wikipediaの頁
また大阪府豊能郡豊能町には「太歳神社」と書いて「おおとしじんじゃ」と読む神社があるらしい。(神社のある風景

【おまけ】

景観配慮型自販機・・・・というより地域PR型自販機
(道の駅 山崎 で採取)

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2011.04.02

岸和田市役所界隈

岸和田市役所
昭和モダニズム建築に入れてもいいだろう。細いラインの組合わせで構成された意匠が特徴的だ。手前の歩道橋までデザインされているような印象を受ける。
しかし、検索しても情報が少なく、もっと評価されるべきだと思う。



車寄せの庇のデザインはだんじりがモチーフか。
 

当然電話ボックスも
 

岸和田市立自泉会館
設計:渡辺節建築事務所(渡辺節)
施工:大林組
竣工:1932年(昭和7年)
 

下調べなしに通りかかったが、がんこ五風荘と共に再訪の価値あり。

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2011.01.21

旧オール商会ビル

 

昨日の神戸新聞に記事が載っていたので忘れないうちにメモ

 丸亀組の建物。かつてはノルウェーの船会社・オール商会の社屋であり、ノルウェー領事館でもあった。

神戸元町、メリケン波止場に向かう途中で目にする景色。写真中央の白い建物がその旧オール商会ビル。以前から気になっていた。個人的に神戸の好きな建物10選の中には入ってくると思う。

左の建物もしっかりとした意匠でとても気になっている。

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2010.11.23

兵庫県庁

兵庫県庁 (1号館):昭和39(1964)年竣工
兵庫県庁1号館

2号館、3号館
兵庫県庁2・3号館

小学校の遠足で、このそびえ立つビルを真下から見て驚いた記憶がある。
建物を見て驚いた原点。

兵庫県庁1号館

今は窓にソーラーパネルが設置されているのですか。
驚きました。

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2010.09.08

電柱があってもいいじゃない

『電柱のないまちづくり』などというキーワードがあるが、電柱があってもいいじゃないかという風景に出会った。
@高砂市高砂町

denchu01.jpg

木製電柱と木の塀(でも支柱はコンクリート)の小径。

denchu02.jpg

denchu03.jpg

こちらはコンクリート電柱だが、サザエさんやのび太のいる風景に思える。

電柱以前に考えることがあると気づかせる風景だ。

 キーワードメモ
道幅 塀の高さ 連続性 建物までの空き 統一感 非舗装

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