建築家 坂茂氏のことば
「コンピューターだけで設計した、とんでもない形の建築が増えている。表皮と構造が一致しない張りぼて。全く感動しない」
from 4月28日神戸新聞夕刊『創作の流儀−美の扉が開く時』
大規模な商業施設では「ダブルスキン」という構造にとらわれない表面の意匠を実現する手法が流行っていますが、ここで言われている“張りぼての建築”とは住宅レベルで増殖しているソレのことだと思います。
私もコンピューターは使っています。でもCADにしても「エスキスを清書してくれる機械」というレベルです。あと計算機としてパソコンは仕事になくてはならないモノになっています。
よくCADのセールス電話を受けますが、最近のソフトはスゴイみたいです。プランを決めたら壁が立ち上って「切妻屋根はどうですか?」「寄棟屋根ではどうですか?」とパースが描けて「壁はサイディングをやめてタイル貼り・・・・」などとシュミレーションしながら、ウォークスルーの動画も作成できるそうです。・・・・聞いただけだけど。
もともと和小屋という屋根の架け方は間取りにとらわれることなく屋根をかたちことが造ることができましたが、「表皮と構造を一致させない」という手法を取入れることで、建物全体がどんなカタチでも建ってしまうようになりました。
コンピューターで設計できるということは、問題が単純化されているということ。一般的に入力・関連するパラメータが多ければ高度になり、考慮することが増えるとコンピューターの力を必要としそうなのですが、実用化できるレベルとなるといかに工程を単純化できるかということが重要です。材木のプレカットなんかも仕口やモジュールを単純化することによって成立っています。
また「表皮と構造を一致させない」ということは表皮を自由に彩ることが可能になりました。「構造」は重力を無視することができませんが、表皮は重力を無視した“絵”を掲げることが可能です。「妻壁に描かれたトラスっぽい飾り」とか「積み方を無視したレンガの模様」とか・・・・
けれどもこのようなバリエーションを多く持つこと、またそれを施主がチョイスできるということが付加価値として喜ばれているようです。
記事の最後には次のことばが書かれてありました。
「建築家は施主のことだけでなくて、街のことも考えなくてはいけない。望まれなくても、いいものを提案してつくるのは、建築家の責任だと思う」
施主と一緒に街のことを考えていくということが一番いい関係であるように思います。
悪い循環に陥っている例
・施主は自己のため
・設計者は施主の(依頼主が施工販売店の場合、施工販売店の)利益を最大限に確保させる
・施工販売店は自社のシェア拡大、利益増大のため
・部材メーカーはユーザーの要望よりも施工販売店重視
・・・・
結局、利益主義・・・・個の利益でしか物事を評価できないために起こっている現象のように思えてきました。本当に暮らしたいのはそんな環境じゃないのに。
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