2007.02.06

「統一」=「美」について

昨日の続き
あさみ新聞『「統一」は「美」なりや』より

この「統一」=「美」という単純な図式を、編集長的に極端なところまで押し進めると、身長も統一した方が美しいとか、この際だから顔も統一しちゃえ、というところまで議論は飛んでいきます。それは気持ち悪いかもね。なんてことを考えながら

イベントのコンパニオンは並んだときに脚の長さが揃うようにヒールの高さを調節してるとか・・・・さすがに顔を統一することはないでしょうが。

統一することは美しいことです。けれどもコピペ、コピペして生みだされたものは美しいとは言難いと思うのです。

甍の波とか、町家の格子とか統一されたものが多く並ぶと美しく感じます。けれども例えばこの格子、なぜだかアルミ製の格子が並んでいても私はそんなに美しいとは感じないのです。
素材の持つテクスチャーが原因なのでしょうか。

町家の木格子などは同じように見えますが、パターンなど家々毎に異なります。また格子を構成している部材も痩せたりあばれたりして全く同じものはありません。
同じようなもので統一はしていますが、それらを構成するものは同じではないのです。

アルミ格子では格子の繰り返されるピッチや部材の形など統一しすぎているのではないかと思います。人間が美しいと感じるためには、ある程度ゆらぎが必要である気がします。

あまりにもゆらぎすぎると「乱れている」というわけですが。
このゆらぎの幅をどれくらいに調節するかというのが「芸」であると思うのです。
(統一しすぎてゆらぎがない状態を「芸がない」という?)

素材によっても必要なゆらぎの幅は異なります。だからアルミの素材で木製格子と同じパターンを作っても奇妙な感じを受けるでしょう。きっと。
(アルミに木製のプリントをするなんてのは論外。)

仕上げが決まらないとカタチが決まらないというのはこういうところにあるのですな。

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2006.02.27

検索してみると

design chordGoogleで検索するとたまに1位になってくれます。

(ありべでるち トリノversion)

 “design chord”についてそろそろ書かなければと思いながら、いろいろ書くことが溜まっています。

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2006.02.03

街並みとコード

 時間があいてしまいましたが先日の記事のコメントより

うーむ。だとしたら、マニュアルじゃなくて何なのだろうと、

 景観のマニュアルといっても、料理で言えばメニューや素材を決めた程度のこと。高級食材を使えば美味しいものができるとは限らないことはこちらの番組を見てもよく分かります。
 美味しい料理を食べるには、さらにレシピも腕も必要ですが・・・・そういうことはプロに任せてしまおうというのが賢い選択肢かもしれません。

 プロの技量レベルの話は\(・_\)おいといて(・_・//

 歴史的な街並みを形成する建物ばかりが素晴らしいのではなく、モダニズムでも、現代の建築物でも素晴らしい建物は多くあります。ただ、たとえ単体で素晴らしくても周りと調和していないと美味しく味わうことはできません。

 以前書いた記事で紹介した本 松原隆一郎:著「失われた景観—戦後日本が築いたもの」を読んでいると“デザイン・コード”という言葉がありました。あっそうか、コード進行を決めることを考えればいいんだ。
 ここでいうコード、本当はcode(規則)のことなのだろうけれど、chord(和音)として考えるということがヒントになるような気がします。

 街並みを整えるということは、(ジャム)セッションをするようなもの。
 セッションは普段交流のない演奏家が集まり、基本的に皆自分が目立とうと好き勝手するのですが、セッションを成功させるためには音楽としてまとまる必要があります。そのための約束の1つが曲目・・・・コードではないかと思います。(セッションでオリジナル曲を作るのは相当技量がいるでしょう。)

 多くない約束のなかでまとめあげていく過程が何か似たところを感じます。
 技量がない程制約を多く作らなくてはならないとか、制約はないのだけれど、目立とうとしてハズしてしまいブーイングを浴びるとか・・・・
 しかし、制約がなく自由であることを基本にしている点で参考にするところが多いのではないでしょうか。

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