「統一」=「美」について
昨日の続き
あさみ新聞『「統一」は「美」なりや』より
この「統一」=「美」という単純な図式を、編集長的に極端なところまで押し進めると、身長も統一した方が美しいとか、この際だから顔も統一しちゃえ、というところまで議論は飛んでいきます。それは気持ち悪いかもね。なんてことを考えながら
イベントのコンパニオンは並んだときに脚の長さが揃うようにヒールの高さを調節してるとか・・・・さすがに顔を統一することはないでしょうが。
統一することは美しいことです。けれどもコピペ、コピペして生みだされたものは美しいとは言難いと思うのです。
甍の波とか、町家の格子とか統一されたものが多く並ぶと美しく感じます。けれども例えばこの格子、なぜだかアルミ製の格子が並んでいても私はそんなに美しいとは感じないのです。
素材の持つテクスチャーが原因なのでしょうか。
町家の木格子などは同じように見えますが、パターンなど家々毎に異なります。また格子を構成している部材も痩せたりあばれたりして全く同じものはありません。
同じようなもので統一はしていますが、それらを構成するものは同じではないのです。
アルミ格子では格子の繰り返されるピッチや部材の形など統一しすぎているのではないかと思います。人間が美しいと感じるためには、ある程度ゆらぎが必要である気がします。
あまりにもゆらぎすぎると「乱れている」というわけですが。
このゆらぎの幅をどれくらいに調節するかというのが「芸」であると思うのです。
(統一しすぎてゆらぎがない状態を「芸がない」という?)
素材によっても必要なゆらぎの幅は異なります。だからアルミの素材で木製格子と同じパターンを作っても奇妙な感じを受けるでしょう。きっと。
(アルミに木製のプリントをするなんてのは論外。)
仕上げが決まらないとカタチが決まらないというのはこういうところにあるのですな。
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